新温泉町
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関 精拙

2006/11/23

関 精拙
関 精拙
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  天竜寺派管長

           関  精 拙

              明治10年(1877)~昭和20年(1945)
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関 精拙禅師は明治10年(1877)浜坂町浜坂に生まれ、明治12年(1879)浜坂町対田の天隣寺へ養子として預けられた。6歳になると得度を受けて僧名を「元浄」と名付けられた。6歳の頃には金剛経や楞巌経、陀羅尼回向文も習得し、7歳になると大学、中庸、論語なども学んだと言われている。以来、住職の敬州和尚、隠居の仁舟和尚、樹窓庵の庵主関祖仙禅尼の愛護のもとですくすくと成長し、10歳頃までは天隣寺で学んだ。10歳から16歳までは、福富(浜坂町)の正法寺の私塾に通い、南禅寺の管長に推挙されるほどの高徳の僧、楽々北隠のもとでじっくりと勉学に励んだ。
 

著書「天竺行脚」
著書「天竺行脚」
明治26年(1893)17歳のとき天竜寺の僧堂に入り、竜渕老師に仕えた。その後、峨山老師について修業を始め、老師が亡くなる33歳まで修業した。明治33年(1900)から天隣寺住職、続いて神戸の徳光院、本山天竜寺山内の慈済院住職を歴任し、大正11年(1922)46歳の若さで天竜寺派管長の職についた。その間、満州視察(中国東北地方)、支那大陸(中国大陸)行脚、インド旅行にも出かけ『達磨の足跡』「天竺行脚」の著書を発刊した。
 昭和12年(1937)精拙老師は還暦を迎えるにあたり、自ら費を投じて故山天隣寺で1週間の授戒会を催した。昭和18年(1943)臨済各派合同第三代管長に就任し、仏教界だけでなく全国から名管長としてその高徳や書画の才をたたえられた老師は、昭和20年(1945)69歳で静かにこの世を去った。


天竜寺(京都)
天竜寺(京都)
天隣寺(対田)
天隣寺(対田)
天隣寺(対田)山門
天隣寺(対田)山門

布袋尊者唐子遊図
布袋尊者唐子遊図
賛峨翁老大師七絶一章
賛峨翁老大師七絶一章
達磨図
達磨図

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