新温泉町
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こちら町長室(令和3年3月5日執筆)

 私ども町職員をはじめ、町議会議員、町民の皆さま等が使う新温泉町庁舎。昭和60 年に庁舎が竣工して、昨年11月10日に竣工35周年を迎えました。
 本庁舎の整備当時、西村副町長がかかわっていたとのことで、紹介してもらいます。


 副町長の西村徹です。
 昭和60年に庁舎が竣工して、昨年11月10日で35 年が経過しました。当時、私は役場に入庁して3年目、本プロジェクトの副担当でしたので、この庁舎の建物のコンセプトを紹介します。
 昭和59年、竣工した浜坂多目的集会施設に併設する形で、庁舎建設事業が始まりました。昭和60年当時の人口は浜坂町が12611人、温泉町が8400人、合計が21011 人現在の13000人台からみると、びっくりするような人口でした。
 庁舎と浜坂多目的集会施設の中庭は、「フォーラム」と命名されています。「フォーラム」は駐車場にはせず、町民が集い、憩う大切な空間です。現在、花づくりの苗の配布の際には、フォーラム一面に色とりどりの花の苗が彩を与えます。
 「ピロティ」は、フランスの建築家ル・ゴルビジュエらが提唱した建築様式で、フランス語で「杭」の意味。しおかぜ通りに面した一階が柱を残して外部空間とした構造体。降雪期には衣服に付いた降雪を払い、それから庁舎に入っていく雪国にふさわしい空間です。
 「塔屋」は、海のまちにふさわしく灯台をイメージしています。航海を照らすまちの道標をイメージしています。
 「町長室ブリッジ」は、船のブリッジをイメージしてまちづくりの航海を操縦する船長室です。
 一階吹き抜けの「タペストリー」は、『やがて、総ては一つの円のなかに』というタイトルで森羅万象の道を象徴したものとなっています(宇佐美圭司作)。

 同じく吹き抜けの書作品「至矣(至れり)」は、浜坂が生んだ世界的書道家・宇野雪村の揮毫した作品。役場が「至れり尽くせり」の住民サービスを提供する拠点になることを願い寄贈されたとのことです。
 たくさんの思いや願いの詰まった歴史ある新温泉町庁舎です。
(文責 西村徹) 

 私、西村銀三は ″新温泉丸”の船長として、人口減少・少子高齢化という時しけ 化の中においても、町民の皆さまを乗せて安全安心な航海ができるよう操縦していきたいと思います。
 新温泉町庁舎 ″新温泉丸”ブリッジにも、ぜひお越しください。

新温泉町長 西村銀三

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