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小西いで小西いで
新温泉町辺地は、江戸時代に干ばつに見舞われた記録が残るなど、長年水不足に悩まされた地域でした。江戸時代末期(安政1854年~60年頃)、当地の小西安兵衛(俗称:大安兵衛)という人が水田地帯に何とかして水をあてるべく、用水路の建設に取り掛かかりました。
この工事には、村を管轄していた豊岡藩からの財政的な援助に加えて人夫を監督するための役人が派遣されたほか、当時因幡・但馬地方で多くの用水路工事を手掛けていた八田村(現新温泉町八田)の『黒鋤組』も参加しました。しかし、工事のさなか時代が明治へと変わり、豊岡藩からの借用金を即刻返還しなければならなくなり、工事の存続が危ぶまれます。 このとき安兵衛が、所有していた山林、田畑、屋敷などの資材をすべてなげうって資金をつくり、工事を続行することができました。明治4年(1872年)頃に完成した用水路は、全長約1キロメートル、一部が田の下を通って深さ4メートルの暗渠となり、底板・横板・天井板の4枚の石板で構成された、他に例を見ない大規模なものでした。 その後小西家は辺地を離れましたが、昭和の初め頃まではかつて多大な寄付を行った天隣寺(新温泉町対田)において、年に一度「小西おどり」が行われていたと伝えられています。 お問い合わせ
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