森 梅園
| 森 梅園
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志学の心と味道館
教育者 森 梅 園(周一郎)
天保9年(1838)~大正9年(1920)
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森 梅園(本名は周一郎、幼名を紋太郎、字は季忠)は、天保9年(1838)浜坂町浜坂に生まれ、父・菊十郎、兄・與十郎の影響を受け、少年時代から漢籍の勉強に励み、安政4年(1857)20歳で池田草庵の青谿書院(八鹿)に入門した。
当時の青谿書院には、全国各地の諸藩から派遣された門下生が多く、梅園は身分を越えて研鑽に励んだ。在塾12年間の長い間、草庵の膝下で学び、その薫陶を深く受け、儒学の勉学も究めた。
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| 森梅園顕彰碑(浜坂・すこやか広場)
| 明治2年(1869)に青谿書院を退塾し、翌年浜坂に「浜坂味道館」という漢学の私塾を開いた。浜坂味道館には但馬各地から門下生が入門していたが、明治26年(1893)浜坂味道館を閉じ、鳥取市に「鳥取味道館」を開館した。さらに、明治28年(1895)には、東京本郷に「東京味道館」を開館したが、妻子の住む鳥取市との両立の不便さから二年余りで閉館した。鳥取味道館には、鳥取県下はもちろん周辺地域から多くの門弟を集め教導に専念した。当時、人々は「東の草庵、西の梅園」と称し、大正4年(1915)に塾を閉じるまでに梅園が教えた門下生は 640余人となり、実に45年の長い年月にわたって青年たちを教えた。
長寿に恵まれた梅園は、83歳の長命を得て大正9年(1920)に亡くなった。
◆森梅園顕彰碑
・建立年月日 昭和29年2月4日
・碑文 碑面 徳顕 味道館主梅園 森先生碑
正三位勲一等澤田節蔵謹書
碑陰 由来(内容省略)
・揮毫 東京外国語大学学長 澤田節蔵
・建立者 発起人 門下生代表下田敏夫他2名
寄進者122名
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以命亭 森梅園の間
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金誠心
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思邪(よこしま)無し
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森梅園生家(以命亭)
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森梅園立姿
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梅園の師 池田草庵
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青谿書院(八鹿町)
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「独りを慎む」
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