村尾秀一
 | 村尾秀一
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============================== 多くの但馬杜氏を養成
村 尾 秀 一
明治40年(1907) ~ 昭和62年(1987) ===============================
村尾秀一は、明治40年(1907)新温泉町飯野に生まれた。照来小学校に入学し、農繁期には1ヶ月ほど休みながら高等科を卒業した。 大正13年(1924)冬、凍り豆腐製造の出稼ぎに出た。 翌年からは、酒作りの出稼ぎに替わり、以後鳥取県や奈良県の酒屋で働いた。このころのことを秀一は回顧録「酒造に生きる」の中で、「厳冬の日、素足でわら草履のままの水汲みは、向こうずねの毛につららが下がっていた」と記している。秀一は、醸造試験所の長期研修を受けるなど、学理と実務を学び、昭和9年(1934)27歳で大阪の岡田酒造の初杜氏に、戦争末期ころには奈良の名門中本酒造の杜氏となった。
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 | 村尾秀一著書
| 秀一は、地元農家を豊かにするため、友人と但馬流酒造を日本の流派に仕上げるため、但馬杜氏組合を結成し、初代組合長として多くの杜氏を養成した。また、杜氏の雇用保険制度の開拓をはじめ、全国杜氏組合の結成にも大きく貢献した。その後、名称は変更され「日本酒造杜氏組合連合会」となり、以後9年間会長として日本の杜氏のトップとして、杜氏の地位向上に努めた。昭和55年(1982)75歳で勇退し、昭和62年(1987)夏、80歳で亡くなった。
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 但馬杜氏酒蔵ラベル
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 但馬杜氏酒蔵ラベル
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 但馬杜氏酒蔵ラベル
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 但馬杜氏酒蔵ラベル
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 但馬杜氏酒蔵ラベル
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 但馬杜氏酒蔵ラベル
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 村尾秀一宅(飯野)
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