巡見使坂尾監物墓・夫人之墓
用土地区の奥の谷と県道路傍に2基の夫婦塞があります。 この夫婦墓については「用土情話」ともいうべき伝承が残っています。 江戸時代、10代将軍徳川家治の頃、巡見使(江戸幕府の全国視察官)坂尾監物が浜坂地方を訪れた時、用土の地で病に倒れ、村人の看護を受けました。特に用土小町ともいわれた美しい娘が監物をかいがいしく看護しました。夫の病の報せを開いて夫人が用土にやって来ましたが、夫と用土小町が深い関係にあると誤解し、「夫が亡くなっても同じ墓に葬るな」と遺言して自殺したといいます。やがて、監物も亡くなりました。 後日、監物の息子の源左衛門が巡見使として但馬に来た時、用土を訪れ、墓を再建しました。 以上は伝説ですが、事実としては戦国時代に用土城に「坂尾殿」という小領主があり、その子孫の坂尾源左衛門が巡見使として来たとき、先祖ゆかりの地を訪ねて、先祖の供養墓を再建したのです。巡見使にまつわる碑は、全国的に見ても珍しいものです。
・建立年月日 寛政元年(1789) 4月 ・碑文 墓碑銘等(内容省略) ・建立者 巡見使坂尾源左衛門源幸宣 |
巡見使坂尾監物墓
|
坂尾監物夫人之墓
|
|
|