回国供養塔
法華経を六十六部写経して、その写本を全国66か所を巡り、国ごとの代表的な寺院に納めることを「六十六部回国供養」と呼び、この納経回国者を「六十六
部(略して六部)」と呼ばれています。
六部は、白衣を着て、脚半・わらじに網笠をかぶり行者姿で全国を巡っていました。この回国の難行を果たし
た者が記念して建てたのが回国供養塔です。
新市の回国供養塔は、浜坂地域に現存する中でも最も古い回国供養塔です。この供養塔にまつわる伝承が残っています。
昔、新市の山根家に泊まっていた六部が病気でなくなりました。その六部の遺言でこの供養塔が建てられたと言われています。供養塔は、回国供養が満願成就して建てられるのが普通ですが、新市の供養塔は回国途中に建てられた珍しい回国供養塔です。
・建立年月日 享保10年(1725)8月
・碑文 回国供養塔
・建立者 新市村願主山根与七助 新市村徳兵衛 |
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