海上傘踊
この傘踊りの起源については歴史性に乏しい面もありますが、鳥取県国府町の「傘おどり」と同系列のものであり、徳川末期と伝えられています。
山陰地方が大干ばつに見舞われた時、困った農民達が雨を求めていろいろの祈願をする中で五郎作という老農夫が三日三晩冠笠をまとい狂い踊り悲願をたてたところ、満願の日に大雨が降り出して飢饉から脱したといわれています。
以来、盆行事には欠くことのできないものとなり、いつの頃からか今日のような長柄の絵模様傘や踊りへと工夫改良されました。
現在でも、五穀豊穣と諸先祖の霊を慰める踊りとして村の青少年達の手で保存されています。
傘に大小240余りの鈴を付けて二人一組(注)となって1/2拍子の曲に合わせて勇壮活発に踊ります。
そのダイナミックな所作は他の傘踊りと比べても抜群の映えがあり、美方郡はもとより兵庫県内にもその名は広く知れわたっています。
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昭和52年12月20日 町無形民俗文化財・傘踊保存会・新温泉町海上
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