名牛茂福号之碑
茂福号は、熊波系の基幹種雄牛として活躍し、ふき蔓の造成と但馬牛の改良の大きな貢献をした名牛です。
茂福号は、昭和23年3月に旧照来村多子で、種雄牛「茂光」と宮脇常助氏の所有する「つね美」との交配により生まれ、種雄牛候補として保留されました。茂福号は、育成時から発育が良く、品位にとみ、特に皮膚の質は良好でした。このため、昭和25年度に県有種雄牛として購買され照来村種付所に繋養され、照来地区で良く交配され、ふき蔓の造成に用いられました。
昭和29年に島根県で開催された和牛審査特別研究会で、顔品、骨しまり、皮膚被毛きわめて優秀であると賞賛されました。
供用期間は、昭和25年4月1日から昭和38年12月までで、この期間の産子数は、1,568頭で、その内登録頭数は637頭でした。生産された子牛のうち、育成されて種雄牛として活躍したものに「茂金波」、「雅波」、「光広波」などがあります。
この石碑は、ふき蔓牛組合により茂福号の功績を記念して、昭和34年12月に桐岡の旧照来小学校前に建立され、平成13年に現在の地に移設されたものです。
なお、茂福号の死後、その骨格標本が作製され、中辻の牛加美神社に保管されていましたが、県立但馬牧場公園の但馬牛博物館開設に伴い、堂博物館に移管・展示されています。
◆昭和29年 島根県安来市における和牛審査特別研究会の頃の写真 |
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