二方郡千原村鐘尾村山論裁許状
共有山所有権をめぐり、鐘尾村と論争、豊岡奉行所に告訴し、その裁許状として貴重な資料です。千原、鐘尾山論は延宝5年(1677年)の提訴が始まりだととしるしているが、これは豊岡藩に始めて訴えた年と考えるべきであり、元禄15年(1702年)、千原村は諸寄村と山争いを訴えていますが、宝永4年(1707年)にも鐘尾と諸寄を相手取り、2件を同時に訴え、同月付けの裁許状(判決文)を受けています。将軍は5台将軍綱吉の晩年で、豊岡藩主は2代甲斐守高住、裏書に城代家老として、大石りくの父、石束源五兵衛の捺印が見えます。 |
平成4年8月1日 町有形文化財(古文書)・千原区・新温泉町千原
|
|