竹中要
 | 竹中要
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サクラ博士、遺伝学の権威
竹 中 要
明治36年(1903)~昭和41年(1966)
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竹中要は、明治36年(1903)新温泉町鐘尾に生まれた。鳥取中学、松江高校を経て、東京大学理学部植物学科を卒業した。東京大学卒業後は、韓国の大学の教授となり、終戦まで数多くの学生を育てた。昭和21年(1946)日本に引き上げ、国立遺伝学研究所の創設とともに、研究第二部長に就任した。その後亡くなるまで、細胞遺伝学部長、所長代理を務めた。当時新しい細胞学が分子生物学や電子顕微鏡を拠り所としていたのに対し、要がオーソドックスな基礎細胞学を守り続けた功績は大きく、評価されている。
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 | 三島市にある竹中要顕彰碑「桜の碑」
| また、「サクラ博士」「アサガオ博士」として知られ、特に染井吉野の起源について交雑実験などの結果、「ソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンとの雑種で、伊豆半島に自然発生したもの」と発表し、長年のなぞを解明した。ソメイヨシノは、テングス病やスモッグ病に弱いため、これらの病気に強い新品種「昭和桜」も作った。このほか、鳥取県の大山にも登り、キャラボクの生態を詳しく調査・研究して新聞や雑誌に紹介し、保護の必要性を説いた。その優れた識見と熱意は今も鳥取県民に高く評価されている。昭和41年(1966)63歳で亡くなった。
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 竹中要が研究部長を勤めた国立遺伝学研究所(三島市)
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 竹中要が研究部長を勤めた国立遺伝学研究所(三島市)
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 三島市にある竹中要顕彰碑「桜の碑」
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 竹中要著書「原色朝顔図鑑」
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 竹中要著書「原色朝顔図鑑」
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遺伝研研究誌「遺伝研のさくら」竹中要命名の「昭和桜」や正福寺の桜が掲載されている |

遺伝研研究誌「遺伝研のさくら」竹中要命名の「昭和桜」や正福寺の桜が掲載されている
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遺伝研研究誌「遺伝研のさくら」竹中要命名の「昭和桜」や正福寺の桜が掲載されている
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