27・猿とカワウソ
岸田川は、今日も澄んだ水が、川巾いっぱいに流れていた。
淵のそばの、岩の上で、猿が背を丸めて、流れに見入っている。
そこには、たんぼり(岩魚)が沢山泳いでいた。
小石の一粒まで、鮮かに見える淵の底は、残そうに見えても油断して飛び込めば、たちまち溺れてしまうだろう。
猿は、淵が思いのほか深いのを知っている。
「ああ、あの、大きな岩魚を、一匹でいいから食ってみたいなあ」
猿は恨めしそうに、淵に泳ぐ岩魚を眺めているのだった。
と、そのとき、水音がし、水面がしぶいた。
見ると、かわうそが淵に飛びこみ、大きな岩魚を口に銜(くわ)えて、向いの岩の上にあがってきた。
「あれっ岩魚だ」
猿が生つばを飲みこんだ。
かわうそは、猿が見ている目の前で、おいしそうに岩魚を食べ終わると、次の獲物をねらって、
するっと水中にもぐり、また、わけもなく、先刻のより大きいのを銜えて上がってきた。
そうして、猿にはおかまいなくむしゃむしゃ食べてしまうと、
お腹いっぱいになったとみえ、岩の上で日向ぼっこをはじめた。
晩秋の日差しはやわらかく、かわうその満ち足りたひげの先の水滴がきらきらと光っている。
猿は、しばらく考えた。それから思いっきりやさしい声で、
「かわうそさん、きみは、毎日、魚ばっかり食って飽きてくるだらあ。山にゃ、柿の実、栗の実、いろいろある。
これから、二人で採りに行かんかえ」
と、話しかけると、
「猿さん、柿も栗もほしいけど、山を歩くと水かきを痛めるけえ、それがおそろしうて、よう行かんだ。
仕方がない、やめておくわ」
と、かわうそが頭を上げて答えた。
猿はしめたとばかり、
「なあに、それは心配するにゃおよびませんけえ。
きみが、岩魚を一匹とってくれりゃ、行きも戻りも、ばくが背負ってあげるけえ」
すると、
「ほんとだね、猿さん。本当なら、ちょつと待ってくんなれ」
かわうそは大喜びで、ひらりと水中にもぐったと見るまに、大きな大きな岩魚の尾びれを、
ピンピンはねさせながら、口に銜えて猿のいる岩に上がってきた。
猿は生れて始めての岩魚に舌鼓をうった。
かわうそも、始めて山に行くことに心おどらせ、山の幸のあれこれを思い画いて、
「やっぱり、あの、赤く透きとおる寒苺ええ、あの美しい苺を見かけて、
一度でええ、あれをお腹いっぱい食ってみたいなあと思っていた。
猿さん、寒苺のあるところにつれて行ってくんなれな」
と、浮き浮きと猿に頼んだ。
「ああええとも……、さあ、肩にのったのった」
猿は、かわうそを肩に、ずいぶん離れた苺の薮までつれていった。
木もれ陽が苺の熟れた実を、まるでルビーのように映えさせていた。
「うわあっ、なんてきれいな苺だらあ」
かわうその嘆声が谷間に木霊した。
すると猿は、自分の宝を、むざむざかわうそに取られてしまうのがおしくなって、
急に一粒でも彼に与えるのが嫌になった。
猿は、かわうそを扇から降すと、
「ちょつと待って。そうだ、日向ぼっこしとんなれ。
いま、みやげに持って帰るように籠をとってきてあげる」
と、そそくさと姿を消した。
かわうそが、ポツリボツリと馴れぬ手つきで苺の実をあさっていると、遠くで草をふみしだく音がした。
ふり向くと十数匹の狼が、かわうそ目がけて突進してくる。
「おるぞ、おるぞ、それ逃がすな」
かわうそは、命からがら転ぶように岸田川に辿りつき水の中で身をひそめ難をのがれることができたが、
傷ついた足の養生に日々を送り、げっそりと痩せてしまった。
その間に、木枯しが吹き、やがて寒い冬が訪れ、山も谷も一面の銀世界に変った。
川辺の凸凹岩もふんわりと雪に覆われた。
そんなある日、水を飲みにやってきた猿は、あの日のかわうそが岩のかげにいるのを見た。
「やあ、かわうそさん、久しく見なんだのう。あのとき、籠にいっぱい苺を盛って、
みやげにと思って戻ってみたら、きみは帰ってしまったあとで、済まんこったったのう」
猿はずるがしこく
「けど魚もええもんだ。一つ魚取るやあ(方法)を教えてくんなれ」
と、親しげに近づいた。
かわうそは
<とんでもないやつだ。狼をけしかけておいて。おかげで命からがら、やっとの思いで逃げたの・・・>
と心ひそかに腹を立てたが、そぶりには出さず、
「いや、あのときは、いろいろお世話になって、ありがとう。
さあね、きみが魚をとるにゃ、どがいしたらええかなあ」
と、考えるふりをして、
「そうだ、今夜は、よう冷えとるで石橋の池にゃ、ウグイがうようよしとるけぇ、人が来んやあになったら、
尻っぽを水につけて待っておりんさい。朝がたまで、じっとしとったら、ウグイが、いっペんに十匹ぐらいもつれるヮ。
朝までじっと、我慢せんといけんよ」
と、いった。
猿はよろこんで立ち去った。
夜になって猿は他の岩の上で、尾を水面に垂らした。水は冷たくピリピリと尾の先がうずいた。
猿はしかし、ここが我慢のしどころと、じっと我慢した。
ながい夜だった。冷たい岩の上に座りつづけた猿は、寒風に身をふるわせていたが、
ようやく朝の光が差しはじめてはっとした。
「さあ、朝だ。もうよかろう」
と、尾を持ち上げようとした。
「うわっ、重い。この様子なら、何十匹もとれたかナ」
とふり向くと、なんと池は一面に氷が張っていた。
こりゃ大変だと思ったとたん、向こうから雪を踏む人の足音が近づいてきた。
たごをかついで水くみにくる人影だ。猿は肝をつぶして逃げようとしたが、身動きができない。
「やあ、猿だ、猿だ、猿がおるぞ-お」
男はたとを投げ出し、棒をふり上げ、駈け寄ってきた。
「キャツ」
猿が悲鳴を上げて飛び上ったとき、尾っぽがつけ根からぶつんと切れ、あやうくのがれることができた。
※参考文献
喜尚晃子 「但馬・温泉町の民話と伝説」1984年より
温泉教育研究所 「温泉町郷土読本-温泉町誌-」1967年より
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