市原惣兵衛
| 市原惣兵衛の墓(浜坂)
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浜坂針の開祖
市 原 惣 兵 衛
明和8年(1771)~天保6年(1835)
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市原惣兵衛は、明和8年(1771)新温泉町浜坂に生まれた。2人の兄が医師になったため、商家と酒造業をしていた市原家(屋号 伊勢屋)を継いだ。寛政6年(1794)市原惣兵衛が24歳のとき、浜坂で鍛冶職をしていた渡辺丈兵衛(1766~1846)と長崎に針金商法を学びに行った。惣兵衛は長崎で行われていた針の製造に目をつけ、針職人の高比良武兵衛、香具喜五郎の二人を雇い、寛政10年(1798)浜坂に連れ帰った。しかし、浜坂村の人たちは、火力を使うため危険であることから、多くの人から反対された。
◆市原惣兵衛墓碑
・建立年月日 天保6年(1835年)
・碑文 碑面 墓碑銘等(内容省略)
碑陰 墓碑銘等(内容省略)
・建立者 針師中
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| 浜坂針のセット
| 惣兵衛は庄屋にも交渉し、町外れに作業場をつくり、最初は人も集まらないので家族や縁者を動員してはじめた。その内、針の製造がこの地方に適した仕事であることが人々に理解され、有力者の資金援助もあり、浜坂の針は全国的に広まった。
惣兵衛は天保6年(1835)65歳で亡くなった。惣兵衛がはじめた針の事業は郷土の産業となり、多くの人々の生活を支え、戦前、戦後を通じて浜坂針は「みやす針」の名で世に知られた。
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機械化された浜坂針の工場風景
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機械化された浜坂針の工場風景
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機械化された浜坂針の工場風景
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高比良武兵衛の墓(浜坂)
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香具喜五郎の墓(浜坂)
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針工場の看板
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針問屋の写真
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浜坂針の道具
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浜坂針は、レコード針へ
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