田中冬二詩碑
| 田中冬二詩碑(ユートピア浜坂)
| 冬 但馬浜坂
新月が出てゐた 暗い町の辻に
日本海の怒涛がきこえた
針問屋は重い戸をおろしてゐた
田中冬二の詩は、実景から発想しつつも、純粋な詩精神と磨きぬかれた技術により、切りつめられた言葉で、むしろ叙事的に組み立てられ、郷愁にみちた独自の叙情世界を形成し展開しました。
この詩は、若い銀行員時代、山陰本線で通過や下車して親しんだ浜坂の情景を詠んだものですが、浜坂を愛した冬二は発表後も数回手を入れました。
冬二がなぜ浜坂に執着したのでしょうか、それは浜坂の自然や風土、町並みや人情を愛したことは確かですが、もう一つ大きな理由があります。「針問屋」の針が12才で死別した母をイメージさせ、「重い戸」の向こうに母がいる、母の世界が広がっていると思わせる冬二の美しい幻影があったからです。冬二にとって
浜坂は、母の地であり、詩のふるさとでした。
この碑文は、1969年冬二自身が墨書したもので、詩的結晶度も高く、冬二の代表作の一篇となっています。
・建立年月日 平成元年6月28日
・碑文 碑面 冬 但馬浜坂
新月が出てゐた 暗い町の辻に
日本海の怒涛がきこえた
針問屋は重い戸をおろしてゐた
碑陰 略歴等 (内容省略)
・揮毫 田中冬二 自筆
・建立者 浜坂町
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