萬霊供養塔
諸寄墓苑を入ったところに、大きな自然石の萬霊供養塔があります。
天保元年(1830)から全国的に飢饉が続き、天保7年頃(1836)には、この地方は殆ど食べるものがなく、木の皮や藁、草の茎や根など、口にあたり次第のものを食べるという、聞くも悲惨な状能やでありました。
他の地域も同様で、米などを隣村にでも持ち出せば直ちに厳罰に処せられたといいます。お金を持っていてもどこからも食糧を買うこともできず、老若男女を問わず、毎日4、5人の死人が出ました。
天保8年(1837)には、諸寄だけで6百有余人の死人が出て埋葬する場所もなかったようです。
この悲惨な死者の霊を慰めるため、川崎丈右衛門、宮下忠五郎等の世話人によって、村人から寄付を募り、今の供養塔を建てました。
毎年お盆の墓参のとき、諸寄の人たちはこの供養塔に供花や線香を立てて回向をしています。
・建立年月日 天保8年(1837)
・碑文 碑面 萬霊塔
碑陰 建立年・建立者等(内容省略)
・建立者 川崎丈右衛門 宮下忠五郎 与兵衛
政吉 弥治良 奥 与助 久七
仲右衛門 弥四良
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