五輪塔(作善上人之墓)
観音山相応峰寺は、天台宗延暦寺の末寺で、寺伝によると、天平9年(737)僧行基の創建といわれ、往古は九品山極楽寺と呼ばれ、本尊木造十一面観音立像が安置されています。 作善上人は、斎衡3年(856)浜坂に来たとき、浜坂の矢城の観音島の海中から十一面観音の霊像を感得して安置されたといわれています。 この言い伝えは、京都方面で作成された観音像が海路を通って浜坂に運ばれ、相応峰寺に安置されたことによるものと思われます。 また、作善上人がこの話を貞観元年(859)清和天皇に申し上げたところ、天皇はお喜びになられ勅使を下され「相応峰寺」の号と「円通殿」の額を賜ったとも言われています。 いつ頃、この五輪塔が建てられたか詳しくは不明ですが、基壇が宝篋印塔の基壇であることから、以前は宝篋印塔であった可能性もあります。 |
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