漢三道一
 | 漢三道一和尚
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幕 末 の 名 僧
漢 三 道 一
宝暦6年(1756)~文化8年(1825)
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漢三道一和尚は、宝暦6年(1756)新温泉町湯に生まれた。9歳のとき、長谷寺(養父市大屋町)の洞月和尚の
弟子となり、19歳まで多くの経典を学んだ。また、漢三和尚の悪童ぶりは大変なもので、当時「馬北の鬼道場」と
恐れられていた龍満寺(新温泉町諸寄)へ修行に出され、数年間修行した。その後、神戸の覚厳和尚の弟子になった。
また、大阪天王寺に入り、天台密教を学んだ。
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 | 漢三書正福寺山額
| 寛政7年(1795)彦根藩主井伊家の江戸菩提寺の豪徳寺(千原出身の霊潭和尚も修行した寺)に入り、多くの弟子の教育にあたった。文化元年(1804)井伊家の国元(滋賀県彦根市)菩提寺の清涼寺に入り、以後10年間、寺の建築や庭園づくりに努力する一方で、「寿山主口授」「漢三道一禅師語録」など多くの禅書を著した。文化11年(1814)には、長崎の皓台寺に移り、寺の再興に努力した。文化8年(1825)幼少を過ごした長谷寺に50両の大金を寄進するのと合わせて両親の墓を建立した。この年の秋73歳で亡くなった。
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 江戸彦根藩主菩提寺・豪
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 彦根藩主国元菩提寺・清涼寺
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 東京小石川・善光寺
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 湯村・正福寺
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