是得上人名号石
国道178号の諸寄トンネル入口の横に、浜坂の勝願寺末聖衆庵があります。この境内の一隅にユニークな書体で「南無阿弥陀仏」と刻まれた名号石があります。
これは、浄土宗の遍歴僧・是得上人の筆によるもので、この名号に衆生済度の念願が託されています。
碑の台石には、世話人であろう、女念仏講・樽屋要右ヱ門・木屋弥治郎の名前が刻まれています。浜坂地域には、このような名号石が13基建てられています。
是得上人は、紀伊の国(現在和歌山県)の出身で、江戸の回向院の住職でしたが、諸国を遍歴しました。但馬にも足跡をとどめており、養父市を中心に広く「是得石」が残っています。浜坂地域には、文政元年(1818)4月に来ています。勝願寺の寺伝によると、是得上人は海上から上って勝願寺に入り、4月14日から10日間説法をしたと言われています。
・建立年月日 文政3年(1820)
・碑文 碑面 南無阿弥陀仏
碑陰 建立者等(内容省略)
・揮毫 是得上人
・建立者 女念仏講 世話人 樽屋要右ヱ門 木屋弥治郎 |
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