13・古屋のもり
雨が激しく降る夜更けのことだった。
飢えた狼が一匹、ずぶぬれて、がたがた身をふるわせながら、
「おお、寒い。骨の髄まで冷え込んでくるなぁ」
と、つぶやいた。
山はもう冬枯れて、食べる物がなく、狼は腹がへってふらふら、
「ああ、何か食いたい。なんぞ、うまいもんはないだらぁか」
狼は、
「そうだ、あの村はずれの爺さんの家に、二才牛が居ったわい」
と眼を輝かせ、
「あいつをとって食ったら、うまからぁなあ」と思った。
すると、引きずるはど重かった足も軽くなった。狼は、はやる心々押えながら村への山道を下り、目ざす家の前にきた。
牛小屋の奥で、仔牛の寝息がする。狼は舌なめずりして様子をうかがった。
「はてな。話し声がするぞ。騒ぎ立てられたら面倒だけえな。どれどれ」
と、母屋の戸のすき間からのぞくと、中でぼそぼそとこの家の爺さん、婆さんの話し声。
「じいさんや、ここも漏ってきたがの。こりゃ押込みにでも隠れにゃ」
「困ったのう、ばあさんや。はんに狼が恐ろしいの狼が怖いのと言ったって、漏るはど恐ろしいもんはないのう」
「ほんとうだのう、じいさん。何が怖い、かにが恐ろしいって、三千世界に、漏るほど怖いもんはないのう」
狼は耳をピンと立て、眼を不安に戦かせて、とぎれとぎれに聞こえてくる老夫婦の話声に聞き入った。
はっきりとは分らないが、どうやら「もる」という怪物がいて、この家の中に入りこんで、爺さん婆さんを困らせているらしい。
狼はがっくりした。狼よりも恐ろしいという「もる」に、腹がへってふらふらの狼には勝てる自信がない。
「ふ-ツ」とため息を吐いて、
「せっかく、あの牛小屋の仔牛を喰いに来たのに、なんちゅう、まんの悪いこったらなあ」
くやしがりながら、
「まてよ、その『もる』ちゅうもんが、いま何をしよるか見てみよう。
もし『もる』が、じいさんばあさんに気をとられとったら、その間に、仔牛をおそうテもある」
そお-っと家の裏に廻っていくと、その間に雨は小降りになり、家の中の話し声がとぎれた。
「な-んだ、『もる』はもうどこぞへ逃げただな」
と、狼ははっとし、もう大丈夫と牛小屋をそっとのぞくと、仔牛は気持よさそうに藁の上に寝そべっていた。
狼は木戸の栓に前足をかけ、静かに動かすと、体の重みが加わって、がたんと大きな音がした。
「シマッタ!」と身をすくめたら、ギギーツと戸が閉り、仔牛がびっくりして飛び上がった。
そこへ、その音をきいた裸の爺さんが飛び出してきた。狼はてっきり怪物『もる』だと勘違いして、
「ギャアー!」
闇の中に一目散。
爺さんは「ベーペーペーツ、ペーペーベーツ」大声でおらび(叫び)ながら、仔牛と間違えて、逃げていく狼を追いかけた。
ちょうど雨は止んで雲が切れ、東の空には月がまん丸い頗を出している。
爺さんはかわいい仔牛を呼び戻そうと、けんめいに、
「ベーベーベーツ、ベーベーベーツ」
と追いかけていく。
狼は血相を変えて、野を越え山を越え、飛ぶように駈けながら、
「うわぁ!『もる』だあ!、『もる』がきたぁ!」とおらび(叫び)ながら逃げた。
森には、沢山の動物たちが眠っていた。時ならぬ狼の叫び声で眠っていた動物たちは、
あの、みなが恐れる狼が逃げていくのにびっくり。『もる』は、すどい怪物だと、みんな我がちに逃げ出した。
兎も、鼠も、むじなも、狐も、
「そうりゃあ!『もる』だあ、『もる』がきたあ!」
と狼の後につづき、岩のさけめに飛びこんだ。
逃げ遅れた猿が飛びこんだときには、もう中はいっぱいで、体はようやく隠れたが、長い長い猿の尾が外にはみ出した。
あわてていた爺さんは、猿の尾を仔牛の尻尾だと思いこみ、引っばったが出て来ない。
「ウーン」
と満身の力をこめて引っぱったら、猿は引っぱられまいと、まっかになって岩肌にしがみついた。
と、猿の尻尾は、付け根からプツリと切れてしまった。
それから猿の顔が赤く、尻尾が短くなった。
※参考文献
喜尚晃子 「但馬・温泉町の民話と伝説」1984年より
温泉教育研究所 「温泉町郷土読本-温泉町誌-」1967年より
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