冨田砕花詩碑
芦屋坂から城山園地に向かう登り口に浜坂ユースホステルがあります。その庭に民衆派の代表的詩人富田砕花の「自然法爾」の詩碑が建っています。
富田砕花は、明治23年岩手県盛岡市に生まれ、のちに芦屋市に住んでいました。砕花の詩碑は、当時どこにもなく、作るなら砕花がこよなく愛した但馬に建てようと、当時の前兵庫県知事阪本勝、兵庫県社会福祉協議会長朝倉斯道、神戸新聞社長田中寛次の3人が発起人となって実現しました。
砕花は、但馬海岸を愛し、再三この地を訪れており、昭和43年4月砕花も出席して完成を祝いました。
詩碑は、香川産の高さ1mの庵治石(あじせき)で、神戸市在住の彫刻家納健の手で刻まれています。
浜坂ユースホステルを訪れる全国の若いホステラーたちの心のささえとなって旅情を慰めています。
・建立年月日 昭和43年4月
・碑文 碑面
私は静かな自然を荒ら荒らしく揺すぶり動か
さうとするものではない。
私はそのなかを何ものにもわずらはされずに
歩きつづけてゐる、
ただ、私は単純に大地を踏んでゐるのだとは
思わない、
私自身が自然そのものになり切りった瞬間を感
じてゐる。
・・・大胆不敵なこの大口は裸ン坊の見得も
飾りも要らない徒歩者の幸福がきかせる
のだ。
・揮毫 富田砕花自筆
・建立者 前兵庫県知事阪本勝
兵庫県社会福祉協議会長朝倉斯道
神戸新聞社長田中寛次の3人が発起人
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