清富・指抗・田井耕地整理記念碑(清冨)
耕地整理は、区画整理・農道整備・用排水路の整備等を行うことによって、農産物の増収と労力軽減を目的に行われますが、関係者の同意と団結、また多額の経
費負担がなければできない大事業です。
清富・指杭・田井耕地整理は、90余名の関係者によって耕地整理組合が結成され、明治42年10月兵庫県知事の許可を受けて事業に着手しました。その後、2か
年の歳月がかけられ明治44年に完成しました。これを記念してこの碑が建てられました。
その耕地面積は、田50町4反6畝9歩(約50ha)、畑6反9畝歩(約0・7ha)、道路2町5反8畝歩(約2・6ha)、溝渠4町1畝17歩(4・1ha)などであり、事業費は1万3千百余円でした。
この事業は、美方郡の中でも一番早く行われた耕地整理事業です。
・建立年月日 大正3年5月
・碑文 碑面 耕地整理紀念碑
側面 建立主旨等 (内容省略)
・建立者 耕地整理組合
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