25・笠
それはどのくらい昔のことか定かではない。ずいぶん遠い昔から、昔話で語りつがれてきた。
ある男が、高塀をめぐらした立派な邸に住みこんだ。
その男は、青下の誰某の先祖だとも、岸田の某の祖先だとも、語る人によって、また時によって異なるが、
さて、この邸には、主の他には誰も居ず、その主も四十前後の働き盛りなのに、仕事をするらしい様子もない。
せっかく雇われたのだから、何か仕事をと思っても、主はこれといった用事を言いつけず、男は手持ちぶさたな毎日だった。
近所との交遊もなく、親類もないのか、まったくと言っていいほど尋ねてくる人もない暮しで、
主はいったいどういう人物なのかと男は不思議だった。
この邸には、家中、いたるところに、立派な調度品が置いてあり、蔵には千両箱と思えるものが山のように積まれていた。
男は毎日、のらりくらりと仕事もなく暮している主が、山海の珍味を無造作にとりよせ、
男にも食べさせてくれるのにも肝をつぶした。
「なんぞ、仕事をさせてくんなれ」
と頼んでも、
「そのうちにやってもらう」
からと、言い、
「ぶらぶらしておれ」
と、言うばかり。
ところがある日、主は二・三把の藁を出し、
「今日一目で、この藁を、芥が一つもないように選れ」
と言いつけた。
男はさっそく仕事にかかり、夕方にこれを主に差し出すと、
「よし」
と、いい、
「ご苦労だった」
と、ねぎらってくれるので男はおかしくてたまらなかった。
その翌日、瓢箪を一つ取り出すと、
「これで藁を打て」
と、いう。
男は、いままでこれといった仕事もしなかったが、主は給金をくれていたし、
昨日も今日も主から言いつけられた仕事は、大の男のする仕事でないのを奇妙に思った。
しかし主にそむくわけにはいかず、言いつけられた通りに瓢箪(ひょうたん)を破らぬ程度に、とんとんと藁を打った。
夕方、主に見せると、明日も続けて打てと言う。三日目の夕方になって、藁は大変やわらかくなつた。
男は主の言いつけ通りに、その藁をつかって、二日かかって二足の草鞋を作って主に見せると、
主はさも満足そうに、
「ご苦労だった。二、三日憩いなさい」
と、言ってくれた。
それから数日後の夕方、
「さあ、これから仕事を始める。旅仕度をしなさい」
と、男の作った草鞋をはき、
「私の帯をしっかりつかめ」
と、主が男に言った。
男が帯をつかむと主はすたすたと歩き出した。
夜風がなんとも心よく、男は主が
「どのくらい歩いたと思うか」
と、聞いてくるまで、ぼぅーとしておった。
あわてて、
「さあ、二、三丁は歩きましたかな」
と、答えると、
「いや、二、三十里は走っただろう」
と、いう。
主が
「ちょつと、笠を胸に当ててみい」
と、言うので男が胸に当てると、笠はぴったりと胸について、手を離しても落ちない。
そっと首をめぐらせて見ると、路傍の樹木や家の軒並が、尾を引くようにうしろに飛んでいく。
やがて主が、
「さあ、京の街に着いたぞ」
と、歩きやめたので男が帯の手を離してみると、とある商家の土蔵の前に立っていた。
主は懐から大切そうに紙切れを出して土蔵の扉に貼って手を掛けると、重いはずの扉が音もなく、するすると開いた。
「ちょっと待て」
と、いい、主は中に入り、すぐの間に千両箱一つを提げて出てきて、男の背に負わせると、
「さあ帰ろう」
といって、扉に貼った紙をはがし懐中にしまいこんだ。扉は元通りに閉まった。
「この蔵も、旦那さんのもんですだか」
と男が聞くと、
「いや、私は泥棒だ」
と、主が答えた。
帰りも男は主の帯にしがみついているとほどなく、
「さあ帰ったぞ」
と、主がいい、草鞋をぬいで千両箱を運ぼうとしたが重くて運びきれず、中の大判や小判を何回にも分けて運んだ。
男は主から
「今夜の分け前だ」
と、数枚の小判をもらった。
男はその後も主の仕事についていき、面白いほどお金を稼いだが、ある年、主が病気になりぽっくり死んでしまった。
男は、主の大切な紙切れを自分の懐に入れ、これさえあればと、主の財産には目もくれず自分の村に帰った。
男は、主から習った通りの草鞋を作って履いてみたが、どう歩いてもその附近しか歩くことができず、
仕方なく、付近の家の蔵ばかり、例の紙切れを使って荒し廻った。それでもかなりの財産を作ったが、
ついに男の仕業であると明らかになり捕まってしまった。
白州に引っ立てられた男が、事の次第を白状すると、
「その紙はどうしたか」
と、聞かれ
「こんな罪深いものがあれば、間違いが起きると思って、かまどに投げこんで焼いてしまいましただ」
と答えたので、男は足の筋を切られた上で放たれた。
※参考文献
喜尚晃子 「但馬・温泉町の民話と伝説」1984年より
温泉教育研究所 「温泉町郷土読本-温泉町誌-」1967年より
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