有本松太郎
 | 有本松太郎
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皆生温泉の基盤を築く
有 本 松 太 郎
文久3年(1863)~ 昭和16年(1941)
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有本松太郎は、文久3年(1863)新温泉町田君に生まれた。松太郎は、家業であった土木請負業を継ぎ、山陰鉄道工事で事業を成功させた。明治末頃には、山陰線鉄道工事の関係で米子に住むようになった。大正7年(1918)鳥取県会議員に当選し、土木請負業を菊地甚五郎に譲り、明治33年(1900)皆生海岸から湧出していた皆生温泉の開発に専念するようになった。
松太郎は、大正9年(1920)海中調査を開始し、大正10年(1921)5月正式に「皆生温泉土地株式会社」を発足させた。同年六月には温泉掘削許可を受けて掘削に取り掛かり、一ヵ月後温泉源(皆生温泉第一源泉)を掘り当てた。
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 | 有本松太郎銅像(鳥取皆生温泉)
| その後、松太郎は旅館大山館の建設、大正11年(1922)には乗合自動車会社(8ヶ月で営業権を山陰タクシーに譲渡した)をはじめた。また、大正12年(1923)には米子皆生間の米子電気軌道株式会社を設立し、専務取締役に就任した。大正14年(1925)には皆生温泉パラダイスなど、旅館・商店が増えていった。
松太郎が大正10年に会社を設立してから、7年間で今日の皆生温泉の基盤が築かれた。 昭和9年(1934)71歳になった松太郎は会社経営から退き、昭和16年(1941)78歳で亡くなった。
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