久谷の五輪塔
久谷集落の右手前の山裾に、五輪塔があります。
地区の言い伝えによると、昔、源平の合戦で敗れた武将が落ち延びてきて、久谷で亡くなりました。その武将を供養するためにこの五輪塔が建てられ、代々久谷の庄屋が世話をしてきたと言われています。
五輪塔は、仏教の宇宙観(地・水・火・風・空の五つの元素で構成されている)を表した供養塔で、その起源は中国にあります。日本では、平安時代の末頃から建てられるようになり、江戸時代には僧侶や武士の墓などとして広く建てられるようになりました。古い時期の五輪塔は大型で軟質の石材(凝灰岩)、新しい時期の五輪塔は小型で硬質の石材(花崗岩)で作られています。
これからすると、久谷の五輪塔は、高さ160㌢で一部凝灰岩が使われていることから、室町時代後期の五輪塔と思われます。
地区の言い伝えと若干時代差がありますが、五輪塔が建っている場所は戦国期の居館と城の一角であることから、山城の城主下野氏と何らかの関係がある五輪塔かも知れません。いずれにしても、町内に残る重要な五輪塔です。
・建立年月日 室町期(後半)
・建立者 不明
平成10年6月24日 町指定文化財・建造物・新温泉町久谷 |
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