清富陣屋跡記念碑
清富陣屋は、関ケ原の役(1600)後、浜坂周辺を支配していた宮城氏が、寛永4年(1627)に二方郡一円を支配するようになり、陣屋を芦屋から清富
(寛永20年)に移したことに始まります。
宮城氏は江戸幕府に旗本として仕え、検地や近世村落の自立を図り、また清富村の町立てや岸田川の付け替え工事などを行いました。特に奉楞巌寺古文書の保護をした功績は大きいものがあります。宮城氏は江戸に住み、近江に大津屋敷があり、清富陣屋は直務と年貢収納の役所でした。
3代目宮城主膳が寛永20年(1643)に逝去し、その跡を継ぐものがなく宮城家は断絶しました。所領は幕府に没収され天領となり、陣屋は廃止されました。
現在、清富に「御屋敷」「殿町」「町」などの小字名や、区画された道路・石垣などの史跡があり、往時の面影を偲ぶことが出来ます。
・建立年月日 昭和57年12月
・碑文 碑面 清富陣屋跡
由来(内容省略)
・揮毫 宇野雪村
・建立者 東京 田中吉太郎 |
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