井上寒甃
| 井上寒甃
| ==============================
書画に生きた自由人
井 上 寒 甃
文化4年(1807)~明治13年(1880)
===============================
井上寒甃(本名:清左衛門または清三郎、通称連八)は、文化4年(1807)浜坂の児島屋に生まれ、長じて京都に遊学した。
安政の末(1860)京都の禅刹相国寺の塔頭慈雲寺の食客となり、修業を重ね、碧巌録、寒山詩などの禅の神髄を極めるかたわら、画や書の業も研鑽を積んだ。寒甃の剛毅でしかも飄逸、禅の精神がにじみ出ているのは禅の修業のたまものである。のちに御所の師となり、法眼という高い位についた。
寒甃は生涯独身で過ごし、修業と書画に専念し、しばしば郷里浜坂に帰って多くの作品を残している。明治13年(1880)和田山町糸井谷において74歳で亡くなった。
|
| 勝願寺「筆塚」
| 当時、あまりにも奇抜な生き方であったため、大衆には理解されにくい面もあったが、物の本質をとらえる画風は、現代においても斬新さがあり、見る者の心を引きつけて止まない。ふるさと浜坂の宝である。
◆筆塚 ・建立年月日 慶応4年(1868) ・碑文 碑面 筆墓 碑陰 慶応四年辰年 寒甃生前建立 ・揮毫 井上寒甃 ・建立者 井上寒甃 |
|