鉄道工事中職斃病没者招魂碑
久谷の国道178号沿いの八幡神社に山陰線工事の犠牲者を祀った自然石の招魂碑が建っています。
山陰線の建設は、明治33年に鳥取県の境から起工し、浜坂・香住間の工事は明治41年から開始されました。この区間には、桃観トンネルと余部鉄橋建設の難工事がありました。その工事中には多数の事故死や病死者が出ました。
その工事犠牲者の霊を祈って、明治44年鉄道工業合資会社の有志が発起人になってこの招魂碑を建立しました。
碑には、27名の犠牲者名が刻まれており、その中には7名の朝鮮人名があることが注目されます。これは、鉄道建設工事が朝鮮人の働きに支えられていたことを忘れず、日本人と並んで朝鮮人の霊を祈って刻んだものです。
当時の鉄道工事は、労働力不足を補うために日本人斡旋業者の手で朝鮮人が集められ各地の鉄道工事に従事しました。山陰線の建設工事にも多くの朝鮮人が従事し、日本人以上に勤勉に働いたとい言われています。久谷では、碑の供養を行い日本人朝鮮人共に工事犠牲者を祀っています。
・建立年月日 明治44年10月1日
・碑文 碑面 鉄道工事中職斃病歿者招魂碑
碑陰 職斃病歿者氏名(省略)
・揮毫 不明
・建立者 鉄道工業合資会社の有志
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