巡礼供養塔
境地区の手前に分岐があり、左にしばらく行くと大味集落とその奥に中小屋の集落があります。山間の小さな集落です。その中小屋集落の墓地下の路傍に小さな石碑が建っています。表面がかなり摩耗して刻字が消えかかっていますが、「西国三十三所□□養 南無観世音菩薩」と読めます。この石碑は大水で流されていましたが発見され、もとの場所に建てられました。
西国三十三カ所とは、畿内とその周辺に散在する三十三か所の観音霊場で、江戸時代に入って庶民の間に、この霊場を巡礼する旅が盛んになりました。そして巡礼の完了を記念して巡礼塔を建てる風習がありました。
霊場の一番は、紀州の那智山で三十三番が美濃の谷汲山で、11か国にわたる巡礼の旅でした。苦労の旅の末に巡礼を終えた人々の喜びと祈りが込められた塔です。
浜坂地域には巡礼塔は少なく、この中小屋の巡礼塔は貴重な存在です。
・建立年月日 江戸期
・碑文 碑面 西国三十三所□□養 南無観世音菩薩
碑陰 風化のため内容不明
・建立者 不明
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