道標
詳細な地図がない時代に未知の土地を旅する人たちにとって、頼りになるのは「道しるべ(道標)」でした。
道標は旅人に対する土地の人々の思いやりの現れでもあります。旅は江戸時代の文化文政期以降庶民の間で盛んに行われ、旅人の道中の安全を願って道標の建立が全国的に急増しました。その多くは庶民信仰と結びついた道標で、仏像と左右の方位を示したものでした。
旭町の交差点にあるこの道標は、上部に「智暁童子像」と「右 京都大阪 左 丹波」と左右の方位が刻まれています。旭町の交差点は香住を通って丹波へ行く道と、湯村を経て山陰道を京都・大阪へ向かう道の交差点にあたります。この道標がいつ頃設置されたか不明ですが、「おおさか」の「阪」の字が使われるのが明治以降であることから、この道標は明治期に設置されたものと思われます。
・建立年月日 明治期
・碑文 智暁童子 右 京都大阪 左 丹波
・建立者 不明 |
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