前村田畑地詰帳
但馬国では、中国征伐後、領主になった宮部善祥房が文禄3年(1594年)に田畑・屋敷の調査を行い(太閤検地)、村高を決め、これを基本にして年貢を納めるようになりました。二方郡では正保元年(1644年)以降は太閤検地の村高を受継いでいます。しかし、前村では元禄9年(1696年)に受けており、元禄15年に、豊岡領内では前村だけが調査を受け、約47石の減額を認められています。このような例は豊岡領内でこの一村だけのようで、豊岡藩郡奉行、太田仁兵衛以下4名の花押(かきはん)捺印があり、正本並みの資料で、極めて史料価値の高いものです。 |
平成4年4月1日 町有形文化財(典籍)・前区・新温泉町前
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