竹田後山栃谷山論裁許状及び絵図面
 | 形状:美濃紙24枚合わせ・大きさ:縦171cm×横217cm
| この竹田後山栃谷村山論は、過去4回にわたって法廷で争われてきた。
一回目は寛永年間の家光の時代であり、2回目は豊岡藩の時代、そして3回目は延享年間八代将軍吉宗の時代であり、4回目は明治11年に神戸裁判所で争われてきた。
竹田後山と栃谷村の山論に関し、江戸評定所に出訴し、同評定所より下付された
正本であり、裏面に絵図面が書かれている。
明治11年に神戸裁判所で絵図面のとおり結審したのである。
山論自体はめずらしくないが温泉町で江戸の評定所まで出訴した例はこれだけである。
学術的にも歴史的にも価値の高い物である。
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昭和56年9月1日 町文化財・古文書・新温泉町竹田
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