浜坂温泉郷(七釜温泉と浜坂温泉)
 | ▲ユートピア
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昭和30年、七釜の民家の井戸掘り中、偶然に温泉が湧出しました。 これが七釜温泉の始まりで、今日の公衆浴場「ゆーらく館」の起こりです。 農業の村が温泉の村に変化しました。 後に二日市でも温泉の掘削が行われ、公衆浴場や国民宿舎「浜坂荘」で利用されるなど、温泉への関心が高まりました。
昭和53年には浜坂地内でも道路の消雪用水源掘削中に偶然温泉が発見されました。 泉温72度の温泉は公衆浴場「ユートピア」や浜坂町内の各戸に配湯されています。
昔、川下祭で「砂ごもり」が行われていた場所は岸田川河口部で、浜坂温泉の発見場所に近いところです。 砂の温かさが原因かもしれませんが、何か昔の人々はこの温泉熱で温まっていたのではないかと思いたくなります。 最近では浜坂駅前に足湯が設置されていますが、そのほかの温泉活用が一層期待されます。 |
 | ▲ゆーらく館
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浜坂温泉郷といわれる七釜・浜坂温泉が、ともに沖積層中に掘られた井戸から湧出したことは、沖積層の下部に基盤岩を切る断層があり、そこから温泉が湧出していたものと思われます。
このことは岸田川両岸の山裾に直線的に並ぶ三角末端面の存在によっても断層の存在が推定できます。 用土付近を境に谷幅を広めながら緩やかな傾斜で続く低地の堆積層は新市で30m、河口部で50mとなっていて、岸田川が氾濫しながら作り出した低地であることがわかります。 |
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