白花園鳳影句・歌碑
自花園鳳影(川崎屋初右衛門)は、安永6年(1777)諸寄に生まれました。
鳳影は、38才で諸寄村の年寄役を勤めていますが、彼は幼い頃から文筆に秀で、自分の見聞したもの、考え付いたものを手あたり次第書きとどめたと言われています。18世紀から19世紀にかけて、地方文化の花開いた時代で、特に俳諧は隆盛を極めていました。また、鳳影は俳句をたしなみ、句集「発句の抜集」などがあります。年齢的には、湯村の因山、浜坂の英之の後輩にあたり、浜坂の藍尾より7才先輩にあたります。
諸寄の庚申山の山上にある庚申堂に奉納された「奉納庚申堂発句集」(文政7年)にも鳳影の名を見ることができます。
晩年の鳳影は、諸寄の龍満寺で座禅をし、仏道に帰依し安心立命の境地にまで達した日々でした。安政6年(1859)7月、83才の天寿をまっとうしました。
諸寄墓苑には、彼の発句と晩年の作と見られる和歌が刻まれた墓石があります。
・建立年月日 安政6年(1859)以降
・碑文 魂乃旅や草葉の露も百々代塚
きのふみし人はととはは草むらの
つゆとこたへて秋風そ吹く
・建立者 安本家 |
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