鶴澤友助塔
この「鶴澤友助塔」は、諸寄の八山(庚申山)の麓を通って芦屋坂に向かう古い街道に、相撲塚「仲錠清七塔」と共に二つ並んで建てられていました。平成12年国道178号の改良工事に伴い現在の諸寄墓苑に移設されました。
鶴沢友助は、松森友助といい文政10年(1827)1月8日諸寄に生まれました。「鶴澤」は浄瑠璃三味線の家元の名で、諸寄や浜坂に門人がたくさんいたと思われます。かって諸寄の為世永神社の例祭には4台の芝居屋台が出ており、そこで演じる子ども歌舞伎や人形浄瑠璃の指導も行っていました。昭和初期の「西浜地誌」には、「諸寄は浄瑠璃の盛んなところ」と記載されており、浜坂、諸寄の例祭における屋台の隆盛に大きく貢献したことがうかがえます。
明治33年11月25日73歳で亡くなっています。戒名は「指月忘年信士」、いかにも三味線奏者らしいものとなっています。
・碑面 「鶴澤友助塔」
左側面 「明治三十三年閏八月建立」
右側面 「太夫門人 立初 前喜 日常 油市 島六 大幸 友源 安関山市 栃冨 松喜 松芳」
・揮毫 不明 |
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