本多浄厳
 | 本多浄厳
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宗門の復興に尽くした名僧
本 多 浄 厳
明治4年(1871)~昭和13年(1938)
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本多浄厳(田畑脇)明治4年(1871)新温泉町熊谷に生まれた。9歳の時、新温泉町浜坂の満願寺で僧の修行し僧名を「浄厳」と改めた。15歳で東京小石川の善光寺の本多円隋上人から教えを受け、その養子となった。その後明治35年(1902)東京両国回向院の住職となった。当時の回向院は、檀徒の騒乱から寺院は荒廃していた。そのため本多浄厳上人は、檀徒との関係を改善するとともに、堂宇や庫裏を改築して興隆に努めた。そして浄土宗館長から「中興の英師」と称された。
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 | 回向院本尊
| 明治42年(1909)焼失した浄土宗の関東大本山増上寺再建の大殿建築局長に就任した。浄厳は再建費用を個人の借財とし、回向院の旧国技館の敷地をはじめ、多くの寺財を増上寺再建に当てた。また、自ら托鉢をし、今日の増上寺の基礎を築いた。昭和6年(1931)本山から法務大和尚に列せられ、無上心院の号を賜った。浄厳上人の徳を慕って来る人が多く、困っている人の身元引受人となり、自宅に引き取り世話をし、学費を出して勉学させた。また、在京の但馬人会の会長に就任するなど、一生を通じて宗門の興隆、社会事業に貢献した。昭和13年(1938)9月28日69歳で亡くなった。
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 記念写真(栃木・塩原)
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 東京・芝増上寺
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 浄厳記念写真(神奈川・油壷湾)
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 本多浄厳50回忌編集「本多浄厳略歴と年表」
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 本多浄厳書
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 東京・回向院
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