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	 宇野雪村
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 現代書芸の先覚者
 
 宇 野 雪 村
 
 明治45年(1912)~平成7年(1995)
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 宇野雪村は、明治45年(1912)浜坂町二日市に生まれ、昭和2年(1927)御影師範学校に入学し、その後書の道に専念して「雪村」と号した。昭和7年(1932)御影師範学校卒業後、神戸で上田桑鳩に出会い師事し、昭和15年(1940)東京に出て上田桑鳩らと共に「奎星会」を結成して、新しい書を次々と発表した。昭和24年(1949)には日展に入選(特選)し、昭和29年(1954)には日展審査員となった。しかし、昭和31年(1956)日展を脱退して以降、雪村の前衛書への挑戦は本格的となり、自由かつ大胆で個性的な創造性を目立たせた。毎年開催されている「奎星展」「毎日書道展」「玄美展」などに次々と作品を発表しながら「文字という約束の上に約束を越えた美が生まれる」という前衛書の理念を樹立した。
 
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			| 昭和58年(1983)古希を記念して、東京三越で「宇野雪村書業展」、同年夏には中国北京において「日本宇野雪村法展」を開催し、昭和59年(1984)にはその功績により「毎日芸術賞」を受賞した。|  |  | 創 
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 平成7年(1995)83歳で亡くなったが、宇野雪村の現代書の創造を実現した功績は極めて大きい
 
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|  至矣
 
 |  但馬牛
 牛子子屋でお産を見た子牛と河原で親牛を長谷に放って 陽の落ちる頃田んぼを牛と歩んだ
 |  念
 
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|  武
 
 |  七穿八穴(以命亭)
 ・建立年月日 ※平成8年宇野雪村生家にあったものを以命亭に移転。
 ・碑文 七穿八穴
 ・揮毫 宇野雪村 自筆
 ・建立者 宇野甚蔵
 |  福沢諭吉訓(以命亭)
 ・建立年月日 ※平成8年宇野雪村生家にあったものを以命亭に移転。
 ・碑文 福沢諭吉訓 世の中で一番美しく立派なことは 一生涯を貫く仕事を持つことである
 ・揮毫 宇野雪村 自筆
 ・建立者 宇野甚蔵
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|  宇野雪村先生生誕地碑(二日市)
 
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