霊潭魯龍
 | 霊潭魯龍
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曹洞宗の四天王と呼ばれた禅僧
霊 潭 魯 龍
延享3年(1746)~文化3年(1805)
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霊潭和尚は、延享3年(1746)7月13日新温泉町千原の桑原太郎右衛門の子として生まれ、10歳の時諸寄
龍満寺の問厚和尚の弟子となった。その後は、師問厚和尚もおどろくほど学業に励んだ。17歳のとき、龍満寺を出て、各地の名僧から教えを受けた。30歳からの7年間は新潟県の寺にこもり大蔵経(一切経)を学ぶことに費やした。この頃から「曹洞宗の四天王」と称されるようになり、戒律を守ることについては自他ともに厳しく「獅子霊潭」と恐れられた。
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 | 霊潭筆「達磨図」
| 天明6年(1786)神奈川県の勝源寺、寛政元年(1789)44歳のとき福井県の永平寺、同年秋には東京都の豪徳寺第15世住職に、寛政12年(1800)には山口県の龍文寺に、享和3年(1804)諸寄に帰ってきた。
この年の秋、諸寄龍満寺第12世玄楼和尚が住職をしていた京都府宇治の興聖寺第23世住職になった。「霊潭魯龍和
尚四処録」には「道望法席今日より盛んなるはあらず」とさえ記している。文化3年(1805)の正月頃から体調
を崩し、同年7月3日61歳で亡くなった。
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 京都宇治・興聖寺
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 京都宇治・興聖寺
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 京都宇治・興聖寺
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 京都宇治・興聖寺
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 京都宇治・興聖寺
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 京都宇治・興聖寺
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 玄楼奥龍和尚
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 龍満寺四天王年譜
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 霊潭魯龍肖像画
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 霊潭筆「達磨図」
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